第109回 ■海と大石■

中山千夏(在日伊豆半島人)

ふむふむ、海は壁ではなくて、道である。
「海の道」という言い方は、古事記では珍しくない。
古代人は、海を道と感じる体験をたくさんしていたんでしょうね。

そういえば、海は道だ、と痛感したことが、ごく最近あった。

今、「第5回伊豆急全線ウォーク」というイベントに、友だち6、7人と参加してる。伊東駅から下田駅(またはその逆)まで、15区間約80kmを歩きましょう、というイベント。伊東駅で入場券買って、歩いて、次の駅でその券にハンコ押してもらって記念品(電車モデルのバッジ)もらって、またそこで入場券買って・・・で、下田駅まで。期間中(去年の9月から今年の3月まで)なら、何日かけてもいい。「完歩」すると賞品もらえる (^_^;

三回目を先週の水曜日にやって、やっと9区間こなした。これがなかなか楽しいの。歩くの苦手で足腰痛いけど、「歩かないとこんなこと気づかなかったねえ」って仲間と言い合うことや景色に、しょっちゅう出会う。
そのひとつなんだけど。

伊豆には、江戸城の石垣用に石を切り出した遺跡(伊豆石丁場)がある、と知人の考古学徒から聞いてはいた。
その石を海岸まで運び出す途中、なんらかの事情で捨ておかれた大きな石と、9区間を歩く間に、少なくとも4回は出くわしたの。もちろん、解説の立て札があるから、そうとわかった。調べてみると、東伊豆では、ちょうど私が歩いた区間に、石丁場が10カ所ほど分布している。

話だけ聞いた時にも、へえええ、こんな遠くから石を持っていったの、と驚いたけれど、でっかい現物をいくつも目の当たりにして、感慨ひとしおだった。そして目の前の海。そうか、海は道だった、と改めて認識した次第。
海路があればこそ、こんなとんでもない調達を計画し、実行できたのだなあ。
東京〜伊東間の通行には、陸路しか頭に浮かばない私にとって、ひときわ新鮮な大石と海の風景でありました (^o^)

江戸城の石垣になるはずだった大石のひとつ