あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第83回

■子孫の都合■

中山千夏(在日伊豆半島人)

なるほどねえ、子どもの都合で父母合葬、とはかなり納得できますね。それに、「少なくとも確認できた範囲では、5世紀中頃までの男女合葬に血縁関係をもたないカップルが一つもない」ということであれば、男女合葬は夫婦ではなく親子の可能性が強いでしょうね。

魏志倭人伝の記事、「大人(上級官僚)は4,5人、下戸(下級官僚?)でも2,3人の妻をもつ」は、サコ先生も言うとおり、男権中国の眼から見た話だとずっと思っています。多夫多妻が倭人の古風であったろう。古事記を読むとそう思えてならない。
もうひとつ面白いのは、この基準でいくと、歴代天皇の多くは下戸以下になっちゃうこと。そもそも初代が二妻でしょ。初期天皇ほど妻の少ない例が多い。
もちろん、それは実態ではなくて、天皇系列を作った時の都合で、やたらに多妻の天皇ができちゃう一方、一妻や二妻の天皇もできちゃったということでしょう。これぞ、子孫の都合で、記録に残す妻が決まった結果だと思う。

私が面白いなと思うのは、いくらでも創作は可能だったのに、一妻二妻の天皇を編者は許容した、ということなの。「妻が少ないと下戸に見える」、という感覚が、編者になかったのではないかしらん。あるいは、記録に残るのは多妻の一部である、というのが常識だったのか。
とにかく古代は、それもかなり近い古代でも、男女の関係はわれわれの感覚とはかなり違っていた。だから私は、古代男女のカップルを「夫婦」と呼ばないようにしている。「夫婦」感覚にひっぱられないようにね。

古語はよく古い男女の関係を表していると思うよ。
メヲ(女男。ヲメとは言わない)
メヲト(女男人。性的関係にある親しい男女)
ツマ(やはり性的関係にある親しい男女の片方)
ね、女性が先立ってる。そしてカップルにおける性的役割分担が、少なくとも呼称のうえでは、無い。(男はオット、シュジン、ダンナ、女はツマ、オクサン、カミサン、などと分別される後世からすると、どちらもツマ、というのは驚異的だ!!)。
古代の性関係は、後とはずいぶん異なっていたに違いないね。