あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第70

■介護する側も、される側も■

佐古和枝(在日山陰人)

「誰もが満足していない」という範疇に、病院や施設に預けた家族も入るかもしれませんね。うちの母など、せっかく父を預けて過酷な介護から解放されたというのに、今度は父を他人に託してしまったことへの自責の念にさいなまれています。自宅では無理だとリクツではわかっているのですが、リクツじゃない部分がなかなか解放してくれない (^_^;) そこから解放されるには、自分の意識改革、自覚的訓練が必要なんですな。
 しかし、解放への障壁には、世間の目ってのもあるみたいです。気分転換に、ぱぁ〜っと遊びに出かけたら?と勧めても、「夫を施設に預けて遊びまわってる、なんて言われると嫌だ」と。肉体的に楽になった分、精神的に別の重荷を背負ってしまってるみたいです。
 そんな母をみて、サコは「みんなで助けあって、みんなで面倒みあっていく」ことが当たり前になってほしいと思って前回の文章を書いたけれど、千夏さんは介護されているお母上様の側からの発信ですね。「摂食、排泄の世話を他人にさせるなどは、痛快だ、と思う訓練をしておこう」さ〜すが千夏さん(拍手)。それ、あちこちで言いまわってくださいね。自分がそうできるかどうかは別としても、誰かがそう言い続けているということで、救われる心地のする人は多いと思います。
 介護する側もされる側も、もっと楽になれる心のもちかたを、世の中の仕組みと共に、もっともっとみんなで知恵だして、研究開発していかなきゃいけませんね。『友だちの作り方』に続く千夏さんの次の著書は『介護のされ方』かな?(^_^;)

 紫陽花