あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第62回

■まずは良き市民たれ■

佐古和枝(在日山陰人)

う〜ん、「全的人間」&「特化された人間」、ナルホドなぁ。オンナの話から離れてしまいますが、いまサコが関わっているあれこれとオーバーラップして、いろ〜んなことを考えさせられました。
 つい先日、あるまちの埋蔵文化財センターから、子供たち向けのイベントを手伝ってくれとの依頼あり。考古学の専門職の方ではなく、サコより少し年上の女性の事務職員でした。人事移動で埋蔵文化財センターにきて1年目。行政職員としてはベテランの部類なのに、それまで自分のまちにこういう施設があることさえ知らなかったそうです。つまり、発掘成果を市民に還元する仕事、あんまりうまくできてなかったんですね(^_^;)

 来てみて彼女はビックリした。おお、わがまちには、こんな素晴らしい文化遺産があったのか。これはぜひともわがまちの子供たちに伝えたい!そう思った彼女は、夏休みに子供たちの体験学習を提案したのだけれど、「必要ない、今のままで充分」と、職場じゃサッパリ賛同えられず。しゃ〜ないと腹をくくった彼女は、定刻でさっさと帰る男性同僚たちを尻目に一人で残業続け、休日返上で考古学のイベント資料を集め準備をし、みごとにやってのけたんです。新しい職場にきてまだ4ケ月、考古学なんてまったく未知の分野だったのに、優れた行政人としての嗅覚と行動力って、すごいなぁと思いました。
 そんな彼女に口説かれちゃ〜、断るわけにはいかない。予算がなけりゃ手弁当でも行きますよと、第2弾春休みの子供イベントのお手伝いをしてきました。
 彼女が優れた行政人だったのは、自分もまた市民の一人として、わがまちに対する市民の視線や感性をもち続けていたことにあると思います。彼女は、全的人間として役所の仕事をしてるんですね。

 お役人も学問のケンキューシャも、それ以前に自分も一人の市民だってこと、忘れちゃいけないですよね。まだ時々いるんだなぁ。「市民のために、してあげてる」という、昔ながらの親方日の丸気分が抜けない人たち。そのポジションにいるからこそ、必然的に身につけねばならぬ知識や技術にすぎないのに、それだけで自分はエライと思ってしまう人たち。
 とりわけ、そういう人種がまちづくりや文化事業の担当だったりすると、悲惨ですわ、ほんま。また別なまちで、そんな境遇に直面してるサコなのでした。
 「良き企業人であることは、良き市民であることを前提に成り立つものである」のだと、厳しい市場原理に切磋琢磨されてる民間企業の人たちは言ってるらしい。行政や学問の世界だってそうだよなぁと思う今日この頃。
   

 火起こし体験