あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第50回

■身を飾るということ■

佐古和枝(在日山陰人)

千夏画伯の個展、いろんな表情のお魚がいて楽しかったです。
さてさて、若い学生達の姿をみれば、おヘソまるだしだったり、下着やお尻が半分みえてたり。長い歴史をみても、たしかに女性の装いは男性の目や要望?にかなり影響されてきていますが、サコが暮らす古代の世界では、どうだったのか。
服装はよくわからないので、まずはアクセサリーの話。
縄文人も弥生人も、古墳時代の人々も、男女を問わず、首飾りや腕飾りなどの装身具を身につけました。耳飾は、弥生人はもたないけれど、縄文時代と5世紀以降にはあります。
縄文時代にはサメの歯やオオカミのキバの首飾りがあります。強い生き物の一部を身につけることで、そのパワーが自分にも宿ると信じられていたようです。
身体装飾としては、『魏志』倭人伝によると、倭人の男は子供も大人も顔と体に入れ墨をしている、とあります。実際、弥生時代の土器に書かれた弥生人の顔には、入れ墨があるものも多いです。入れ墨は、海に潜って魚や貝をとる時に、海難事故にあわないためにするので、出身地や身分によって模様が異なると、倭人伝は説明しています。
古墳時代の人物埴輪をみると、男性の場合、数は少ないけれど入れ墨の事例があります。女性は、頬に赤い色を塗るペイントの化粧です。これは、儀式の場面の女性埴輪に多いので、儀式の時に俗から聖なる存在に変わる(ばける)ための化粧だったと思います。
カビ問題で話題になっている高松塚の女性達は、現代にも繋がるような化粧をしています。同じ頃、持統女帝はおしろいの原料になる鉛白を献上されて、とても喜んだそうです。この頃には、新たな中国文化の影響もあり、お化粧も女性のたしなみになっていたのかもしれません。
アクセサリーも入れ墨も化粧も、信仰のためや身分・出自の表示など、本来それぞれに意味をもつものが、だんだん本来の意味を失い、いわゆるファッションになっていく。入れ墨について、すでに倭人伝が「いまは本来の意味が忘れられて、飾りになっている」と書いていますから、現代人が覚えているはずない(^_^;)
やはり古代にも、入れ墨をしたイイオトコ!化粧をしたイイオンナ!って、熱い視線が飛び交っていたのかな。