あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第49回

■古代セレブと現代ギャル■

中山千夏(在日伊豆半島人)

サコちゃん、9月1日、個展のオープニングにきてくれてありがと!
あの時着てたジャケット、すごくよかったね、見たとたんにそう言ったけど。ほんと、かっこいいっ。

女からでも着てるもの褒められると嬉しいよね。私は嬉しいなあ。だから、男のためばかりにオシャレするわけじゃないよ、たしかに。
第一、多くの男って、恋人でもなんでも、なに着ててもほとんど関心を示さなくない? 「男は着物などにこだわるものではない」という抑制が、少なくとも近代にはあって、それがごく最近まで強く働いていたんじゃないかな。だから、実はカノジョの着物について感想があっても、表現しない、表現できない男が多いのかも。

男のためにオシャレしているわけじゃない。とはいえ、自信もってそう言えるようになったのは、やっぱ、リプ以後だな。七〇年代、ファッション業界にも「女の体が自然に楽に動ける衣服がいい」という考えが台頭して、イッセイが世界的に注目された。おお、自然で楽な服装でいいんだ、ということに、あれでどのくらい自信もてるようになったかわからない。
それ以前の若い時のこと思うと、やっぱりもっばら男の反応を気にしてオシャレしていたと思う。するとどうなるか。当然、多くの男が大好きな(と見える)エッチグラビアのファッションに限りなく近づいてしまう。裸、ではないまでも、性的に無防備で節操なくて、すぐ誘いに乗るように見える、そんなファッション。Mっぽいフェミニンでなければ、ロリコン向けの幼女スタイル。

今、町はそんなファッションの女の子で溢れている。
八〇年代に入って(だったと思う)ファッション業界は反動期を迎えた。ボディコンシャスを流行らせた。「女を主張する」、と言えば聞こえはいいが、要は装いの目的をセックスアピールに矮小化したファッションね。外見を少しずつ変えながら、それが今も続いているのだ。
見ると痛ましい。自分の若いころを見るようで。「この子は強姦されたいわけではありません。モテたいだけ、愛されたいだけです」と背中に張り紙してあげたくなる。
たしかに男の多くは、性的に無防備な服装をした女を好むけれど、それはハンターが獲物を好むのと似た好み方である、あるいは飼い主がペットを好むのと似た好み方である、とわかっている子はほとんどいないだろう。いや、悪くすると、獲物こそが美しい(ペットこそが可愛い)、ハンターと獲物(飼い主とペット)の関係こそが、望ましい男女の関係だと思い込まされているかもしれない。
そうだよね、「チカンも手を出さないなんて女じゃない」とおおっぴらに言われるんだからね。

スケスケの絹を着た古代中国のセレブも、ヘソ出してビルの谷間を歩いている現代の庶民ギャルも、その状況と心理は同じようなものだと思うな。