あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第46

■卑弥呼はオンナを捨てたのか■

佐古和枝(在日山陰人)

前回『魏志』倭人伝の記述にふれたので、ここらで女王卑弥呼のお話を。
倭人伝によると、2世紀の終わり頃、倭のクニグニは長らく戦乱状態に陥り、多くの犠牲者がでた。そこで、クニグニは一人の女・卑弥呼を共通の王として争いがおさまった。
卑弥呼は、結婚適齢期であったけれども夫はなく、一人の男が食事を運んだり、連絡係を務めた。247、8年頃、卑弥呼は亡くなり、大々的にお葬式がおこなわれた、とあります。
卑弥呼はよく「邪馬台国の女王」と書かれたりしますが、邪馬台国を含む30ほどのクニグニ全体(倭国)の女王です。その倭国の都が邪馬台国にあったのです。
原文では「一女子卑弥呼」とあるので、女王に選ばれる時点では王でもなんでもない、ただの女だったはず。それがどうしてクニグニ全体の女王になれたかというと、「鬼道が得意で、よく人々の心をつかんだ」と書かれています。鬼道が何なのかについては意見が分かれていますが、いずれにせよ、当時の人々には目新しいマジカルパワーをそなえ、多くの支持者がいたのでしょう。
男社会がにっちもさっちも煮詰まってしまった時、オンナが登場するというのは後の推古女帝や皇極(斉明)女帝なども同じです。
卑弥呼は、魏の皇帝に使者を送るなど、国際外交もしっかりおこないました。しかし、南の狗奴国と苦戦するなか、亡くなりました。卑弥呼の死因も、狗奴国との戦乱の結果も、なぜか倭人伝には書かれていません。もしかすると、狗奴国になかなか勝てないのは、卑弥呼の女王としてのパワーが衰えたからだということで、身内に殺されたのかも。
卑弥呼といえば、わが国の歴史上の超有名人ですが、王になったことが幸福だったのかどうか。「大変だったけど、けっこうおもろい人生だったわよ」と卑弥呼さんは笑ってるかな。

絵:金森一咳