あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第42

■何を伝えるか・・ということ■

佐古和枝(在日山陰人)

そうなんです。いま小学校の歴史教科書は、2001年の改定で旧石器・縄文時代が削除され、米づくりから始まっています。女性の選挙権にしろ稲作にしろ、あるいは電気やガス、人権という認識など、それがなかった時代を知らないから「あって当たり前」、ありがたさも意味もわからない。「それがなかった時代」を知ることは大切だと思います。いまみたいな国境や国籍がなかった時代というのも、知っておけば、いまの世界がもっと違うふうに見えてくると思うんですけどね。
明治時代の教育方針は、「教育と学問は違う。学問的には“事実”であっても、日本国民として不都合なことは教えるな」でした。だから、天皇家が南北朝に分かれたことも、壬申の乱も教えない。
明治政府にとって、国家に都合のよい「国民」を製造することが教育の目的なのでした。でも、いまの教科書検定にも教育基本法の改訂案にも、同じ体質を感じます。旧石器・縄文時代が削除されたのも、その一環だろうと思います。
何を教えるか=何を伝えるか=何を書き残すか。「書かれた歴史」とは、それを書いた人が内容を選別しています。検察側が作る自白ビデオと同じですね。書かれた歴史とは、それを書いた人が作った歴史なのでした。オトコが書けば、おのずとオトコの理屈の歴史になる。書かれたことがすべて真実だなんて、あるいは書かれたことだけが真実だなんて、ゆめゆめ思っちゃいけません。千夏さんのように、「書かれなかった歴史」に思いを馳せる力が大切です。
「文字は、侵略の言い訳を書き残す」とは、アイルランドの考古学者の言葉。遺跡や遺物はウソつきません。あ〜、やっぱり考古学って、いいなぁ(*^_^*)