あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第41

■「教えない」という教え方■

中山千夏(在日伊豆半島人)

ひえ〜、あきれた。私には想像がつかないよ。
石器、縄文にまったく触れないわけ? 美術(とは言わないんだろうけど)の時間に縄文土器に触れることも、すると、なくなるの? 岡本太郎があの世で泣くだろうなあ。もし触れたとしたら、誰がどう作ったのか、歴史ではなくて美術の先生が説明しなくちゃならないわけ?
考え深い子は別として、まず、普通の子は、世の中が弥生から始まったかのような印象を抱いて育つわけね。しかも多分、世界史との比較は無しに。
ひえ〜。さぞかし可愛い井の中の蛙がうじゃうじゃ育つだろ。ま、いいけどねー、うちら、子どもおらんしさ。しかし、ひえ〜。

今日、ダイビングの仲間三人と潜ったあとで、一杯やりながら雑談した。歴史の話になった。たまたまなかに、先月、私がやった神奈川大学の学外講座「古代倭人女性と現代の私たち」を聴きにきてた仲間がいて、女と歴史、みたいな話になった。
仲間の二人は、1945年まで日本女性に参政権が無かったことを知らなかった。聞いてびっくりしていた。40代の男性と女性だ。
私が性差別の歴史と現状を知ったのも、70年代、ウーマンリブに加わってからだった。もちろん、もう選挙権を持つ年齢をいくつか超えていた。
義務教育で教える必要がない、と思われていることだったんだね、これは。そして、たぶん、今でも積極的に教える動きは、政府にないでしょう。つまり、石器、縄文と同じなのさ。

50代の男性が、私の講座でよくわかった、と言って、こんな名言を吐いた。
「教えないということ、切り捨てるということは、もうそこで、主観的になってるんだ。教えている部分がどんなに客観的でも、何を切り捨てているかで、それはそういう主観的な歴史になっちゃってるんだよ」
スタンダードな歴史教育は女性の歴史を切り捨てている、という話を、講座でいっしょけんめいした甲斐があった。

今、検察の取り調べをビデオで撮って、証拠採用する方針がニュースになってるでしょ。聞いて笑ってしまった。
だって、取り調べ全部をビデオに撮るのではなくて、検察が任意に撮るというのよ。しかもその目的は、自白の信憑性を巡る議論で裁判が遅れるのをふせぐためだってさ。
てことは、検察は自白場面ばかり撮って証拠に出す、ということでしょ。呆れる。
これは昔、女性は政治に無知であるから参政権は与えられない、と言っていた男たちと同じだ。女性が政治から排斥されていた、だから無知になるしかなかった現実は切り捨てて、見ようとしない。反省しようとしない。
自白にいたる過程は短い歴史だ。そのどこを切り捨てるかで、「事実」はきわめて主観的な主張になる。だから自白の歴史のダイジェストを作るなら、被告側にも取り上げる部分、切り捨てる部分を選択させなかったら、「事実」は一方的な偏見になってしまう。現状でもその傾向が強いけれど、これは、そこへ映像という、最もひとをだましやすいものを使って、検察側の主張を押し通そうとする方策でしかないよ。
これまでたくさんのひとたちが、強引な警察の取り調べにウソの自白を強いられ、それがどんな自白だったかを忖度しない裁判のおかげで、冤罪に苦しんできた。その歴史を切り捨てた教育を受けてきたひとたちが、こういう法律を考えつくに違いないね。

どちらもこちらも、困ったもんだ。
民間でなんとかするしかないのかなあ。