あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第25

■『食う』こととおんな」しめくくり■

中山千夏(在日伊豆半島人)

キャ〜ッチ!!
サコせんせ、いいとこへ話を持ってきてくれました!
この話しのしめくくりに、ぜひ言いたかったことの戸口まで(^o^)

女性の産む力を讃美する風潮は、現代にもありますよね。
若いころ、私はこれが大嫌いだった。これが出てくると身構えてました。
なぜかというと、女性の産む力讃美の裏側には、常にこういうメッセージがあったから。

女性の産む力は素晴らしい、それこそが女性の存在価値である、だから、すべからく女性は子産み子育てを本分とすべきである、そうでない女はほかに何ができようが二級品である。

なぜだかこれには説得力があって、違う、と思いながらも押され気味になってしまう。だから大嫌いな話だったわけ。

でも、じゃ〜ん、解決しました。相変わらずこんなことを言ったり匂わせたりするひとには、こう諭してあげるといいよ。

そうそう、産む力は驚異ですよね。だけど。実はこれ、女性だけの魔法ではなくて、男性との協力があって、初めて実現する奇跡なんです。そんなこと、現代人には言うまでもないですよね。
つまり、女性の産む力が素晴らしいならば、男性の射精する力も同じくらい、素晴らしいんですよ。ね、そうでしょ。それが無かったら子どもはできないんだから。
ところで、だからといって、射精こそが男性の存在価値である、だから、すべからく男性は射精を本分とすべきである、そうでない男はほかに何ができようが二級品である、とされたら、嫌でしょう。
同じことです。産む力は素晴らしい、でもそれは、生物としての素晴らしさなのであって、人間としての素晴らしさじゃない。もし男が、射精以外の人間としての活動をしたいのなら、女だってそうしたいし、またそうするのが当然なの。
だって、女は人間なんだもの。ね。

人間であること。とは。
ただの生物と違って、摂食行動、繁殖行動だけでは生きられない、ということ。そして、女は人間であるということ。
この事実を性根に据えていれば、どんなに産む力讃美が降り注いでも、揺るぎなく、にっこりしていられるよ。