あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第14回

■神様頼みからの脱却■

佐古和枝(在日山陰人)

いまから2600年ほど前に、北部九州で水稲農耕が始まりました。弥生時代の幕開けです。といっても、いま学界では、弥生時代の始まりが500年遡るのではないかという議論がありますが、決着するまでにはまだ時間がかかるので、当分の間は従来通りの年代観でいきましょう。
縄文人は、猪や貝を食べつくさないためにガマンすることはしました。だけど、来年の保障は何もありません。ただ、神様に「今年はありがとう。来年もよろしく」と祈るのみ。だから縄文人は、多種多様な祭祀の道具をたくさん作りました。
弥生人は、自分で食べ物を作れるようになった。凄いことです。やればできるんだ!って思ったことでしょう。その分、神様に感謝する気持が薄れたのか、祭祀のための道具は、縄文人に比べると、数も種類も少なくなります。
自然界にまんべんなく感謝し、共存共栄を旨とした縄文人と異なり、稲作を始めた弥生人にとっていちばん大事なのは稲の生育です。それを妨げる虫や鳥や獣は害虫、害鳥、害獣として追い払い、邪魔な草は引っこ抜く。そうして、お米の生産性を高めることに血道をあげる。合理性や効率性への志向も芽生え、土器も機能優先のシンプルな形となります。
狩猟採集の食料と違って、お米は蓄えもききます。たくさん作れば作るほど、富になる。人間、貯めるということを覚えると、もっともっと貯めたくなるものですよね。そこから、貧富の差が生まれ、権力者が生まれ、戦争が始まる。
現代人の経済優先・権力志向は、稲作とともに始まったといえるのかもしれません。でも、弥生人は、現代人よりはるかに節操をもっていましたよ。その話はまたいずれ。

 (読者からの指摘により「他力本願」という言葉の代わりに「神様頼り」
  としました)